ラーメンの麺やわらかめ

前回までのあらすじ

ひょんな事からととんこつラーメン(細麺)を麺やわで食べると美味いという事実に気づいた露骨は究極の麺やわラーメンを求めて「麺やわらかめでお願いします」と店員に言い続ける旅に出た。
しかし世界は度し難い勘違い野郎の牛耳る麺かたDQNワールドに覆われていたのだった。
麺やわ勢絶滅が危惧される麺やわ不毛の時代に、博多風龍は"ばりやわ"、一蘭は"超やわ"を掲げた。これらは後に麺やわ信者の圧倒的な支持を得ることになるがその時はまだ取るに足らないバリエーションのひとつとして無視されていた。
一方その頃、味噌一では八丁味噌を使用した赤造りというラーメンの平麺を選択し、やわらかくして食べると美味いと主張した味噌やわらかめ急進派が、味噌煮込みうどんだってたかめだし、それはかために決まってるだろうという理屈で麺かた味噌保守派による圧倒的な弾圧受けることになる。これは全ての味付けタマゴとメンマ(海苔も)を奪われるという後に"味噌一トッピング全取り上げ弾圧"と呼ばれる悲しい事件として麺やわ派の胸に長く記憶された。

センターが普通では無い

ラーメンといえば麺かため、と思い込んでいる度し難いDQN麺カタ保守野郎を上から横目に麺やわらめを頼み続けているわけですが、最近では博多風龍が粉落としからバリやわまでのフェードをドロップしたことに麺やわ勢は驚きと感動を覚えています。
一蘭にも以前から存在していた"超やわ"概念と共に、ここで重要なことは、やわらかめの次のフェーズをはっきり文字として提示しているという点です。
ラーメン、特にとんこつラーメンの細麺世界ではかためが粋、かためが通。かためが1番美味いというほとんど精神病とも思える強迫観念のもとに麺のかたいが正義という脳みその硬直が凄すぎるため、麺を茹でるという事自体に恐怖している節があります。これはほとんど病気と言ってもいいでしょう。やわらかめでお願いしますと頼んでも全然やわらかく無い。なぜなら。茹で過ぎるのが怖いから!この恐怖を制し、もっと茹でてもらう為には、やわらかめ、麺やわのネクスト言語ステージとしてのばりやわ。超やわが超必要かつ必然だった訳です。
私としてはやっと麺がやわらかいという所までたどり着いてきたなというが正直な所。麺かた方向のハリガネ、粉落としに呼応するようなグズグズのラーメンの提供も夢見ていますが、言葉的には"麺溶かし"という感じでしょうか。グズグズ麺もカタ方向とは違い、あまりグズグズ過ぎると湯切りに耐えられないということになるでしょう。
となるとホントの理想は
「ばりやわまでいた後にスープと一緒にグズグズになるまで煮込んでくれませんか」
ですがこれはもう麺状態のフェードとは違う領域の問題になってしまいます。まずばりやわ、超やわから。グズグズ提供を夢見て!ずるずるずる・・・・