編集音楽をまとめて紹介するTHE EDITが面白くて仕方ない!


自分も執筆してて手前味噌ですが全くもって面白すぎます。youtubeを活用してのツアーがシジョーに面白いぜというエントリを以前YYMブログにあげましたが(『The Edit - ザ・エディット』 エディット・ミュージック・ディスク・ガイド 発売!!!!)、今回はEDITMUSICってどんなもの指す訳?という基本ラインを説明。
ここでいう編集音楽とは編集フェチ系音楽
この本でEDITに特化した音楽をまとめて紹介しているが、そもそもEDITMUSICというジャンルがあるわけでも発生したわけでもない。これは音楽を聴くとっかかりとして1つのタグ付けがなされた状況(トンカカも然り)。しかしこの本の執筆者のように編集音楽にとりつかれた編集音楽ファンというのはいるわけで、そもそも音楽が編集されているという事について少し説明したい。
音楽は全て編集されている
この一行で全てが説明されてしまうのだけれども、そもそも音楽が考案されて作曲や演奏という段階で練られる時に編集は介在するし、また、録音のみで考えてもオーバーダビングせずに録音されるものは割合としては少ない。あらゆるポップスがオーバーダビングで作られている中で、そのポップス群をこの本ではなぜそんなに取り上げていないか。これが編集音楽愛好のキモになる。つまり通常のポップスは割合自然にそこで各楽器が同時間軸に鳴って音楽を作り上げているように編集されているのに対し、この本で紹介されている音楽のほとんどが編集を施した事を音楽の中から異物感としてはっきり検知できる音楽群だという事。シンセサイザーの始まりは色々な楽器の模倣音としてスタートした側面があった地点から次第にその模倣音自体、または模倣音でもなくセンセサイザー自体の音が愛されるようになったように、ある状況を模倣する為のテクニックだった編集から、編集作業からしかありえない音が愛されるというのは至って自然な流れ。しかもそこには自然にはない情景が現れる。
小さい音がドライに聴こえれば静かで狭い空間、音の発生地点はごく近い場所・・・・と人間は判断するだろう。深入りバーブがかかった打撃音は、湖畔の向こう側での何かの合図を連想するかもしれない。ともかく生まれてから人間が耳で判断してきた蓄積がそのままサウンドを聴くときのイメージ判断につながる。したがって、軽くリバーブがかかりクリアで高音のギターアルペジオから水面の煌きを連想したり、ファズギターの轟音のカベの中のツブツブした音の粒子に削られるという実際の自然とは違うより高次の連想が行われるのは(※1)、今まで聴いた事の無い音でも、その人の経験に照らしあわされて状況を予想し続けているということだろう。

そしてこの本で紹介されている編集フェチ系音楽達は音を切り、前後させ、ゲートを降ろし無音部分ができていたり、同じ音がドライに垂直に連続して並んでいたりと自然界とは全く違う音像をみせてくれるが、この音から私達は何を感じて何を予想しているか、というのが編集音楽フェチガイドでもっとも説明を必要とするところだと思う。
予想と予想の裏切り
先も説明した通り、人間は音から何かを連想したり予想したりするのだけれども、編集フェチ系音楽を聴いていると予想していた時間の流れが急に変化してしまったり、あらぬ音の終わり方で急に時間からなげだされしまったりと小気味よいびっくり感がクセになってしまうというのがあると思う、具体的にいうとテープストップ音には立ち止まらせて前のめりになってしまうし、マシンガンエディットの音のアタック表面が垂直に攻めてくるので、顔面につぶてを受けているような印象をうける。
とあるeditマニアの話で印象的だったのは「マシンガンエディットがかっこいいレコードは保存用に1枚、針を落としてないものを保管している。高価なレコード針でデータとしてPCに取り込む際に備えて針を落としていない。なぜなら切れた音の入っているレコードの切れているところは溝の底で垂直に音の山が起きているので、針はそこにぶち当たる体で音を発する、その時垂直の角が削れてしまうから。切れているレコードは最初の1再生がもっともソリッドだから。」という意見。なるほど、マシンガンエディット聴取者が感じる垂直にぶつかって現れた音のつぶてにぶち当たっているイメージと、実際に起きている事とさほど変わらないなと思った次第。
EDITMUSICは男の子向きかも
しかしいつもedit物を聴いているときの心象風景はもっともっと幼稚でバカバカしい素直さを表しているのも事実。合体ロボや夢のタッグマッチ、ライダー全員集合、12段ギア、タイヤのいっぱいついたトレーラー等々、男の子なら誰もがす・すげーー!と驚いていたあの感覚が編集フェチ系音楽にはある。(これは別に女子は聴くなということじゃないよ)通常の時間軸で演奏されている音楽にはないあんな事やこんな事が行われる事に愛好者はワクワクしてしまうんだろうと思う。

この辺の話を1/24に渋谷タワレコで行われる出版記念イベント(イベント詳細)にてちょっと触れられたらと思いつつ、実際は時間がタイトなのでもっと簡単な話になると思うけど(自分の担当は動画共有サイト時代の〜の言及)、ラテンラスカズさん(※2)とおさらい的USTで深遠な編集の世界をトーク放送しようという計画もありますのでイベントもUSTも興味ある方は是非。
また、先日のgalaxxxyレコード市で大好評だったxeffer(2010だヨ!galaxxxy新春レコード市終了!!!!そして伝説へ・・・・)も、1/10大阪サオマイ(1/10マージナル戎詳細)でのイベントでの出張販売、galaxxxy新プロジェクトの建物"galaxxxy in Hi-Fi"内で4月に再登場!という企画もあるので実際に切れ切れもを手に入れたい方は要チェックです!

※1
これは余談だけれども、なぜこのような連想が起こるかについては、人間の脳の解像度の限界なんじゃないかと思う。だじゃれなり空耳なり、何かと何かが似ているという判断は、よくよく考えると、全然違うよね、、、、という所を、ここまで一致していたら大体一緒と判断する驚くべき人間の脳が、小さな差異も検知して少し違えば全然違うぜという細かい計算をするスパコン脳だとすると、水の煌きとアルペジオが似てる判断はまるでされず、音の隅々まで良く検知しながらロマンチックな連想は全く行われず、音楽はとてもつまらないものになるだろう、と思います。ま、今回は関係ない話・・・・。
※2
氏は常から"編集はタブー"、"わざわざEDITとくくることも無い"と重要なキーワードを発言しているので、この機会にその考えを披露して欲しいですね。